エスニック

 更新情報

● xp GIGs 2006
日時: 2006年8月19日(土) 17:45オープン / 18:00スタート
場所: 秋葉原 Live Spot PAGODA
チケット: ¥1,000 (ドリンク別)TENDER PRAY として出演

xp GIGs 2006

 タムタムの王者ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ1

 私の名前は、ドゥドゥ・ニジャエ・ローズ。3人の妻と33人の子供がいます。私は、ここ西アフリカセネガルの首都ダカールで、打楽器の演奏を一生の仕事として生きています。私は読み書きを覚えるよりも先に打楽器の演奏を覚えました。8歳の頃の事です。もちろん子供の私にはセネガルの伝統の打楽器タムタムを自分の手で作ることはまだできませんでした。拾って来た空き瓶や空き缶を日がな叩いていました。丸太を刳り抜き、羊の皮を張った本物のタムタムを早く叩きたいと思ったものです。学校に行くようになってからも、私の頭の中にはタムタムの事しかありませんでした。ちゃんと学校に通おうと思って家を出ても途中でタムタムの音が少しでも耳に入るともうダメでした。「学校などどうでもいい。この音のする方へ走るんだ。」と心も魂も叫び出します。家族や親戚には散々小言を言われました。「学校へ行け。でなかったら手に職を持て。タムタムを叩いたって食べてはいけない。」しかし、子供の私が選び取った職業はやはりタムタムの演奏者だったのです。

 私はセネガルで初めて子供達のための打楽器教室を開きました。それ以前には、タムタムの演奏法と、セネガル伝統のリズムをきちんと教える場は、どこにもありませんでした。私はマラセックという名の先生に個人的にタムタムを教わりました。マラセック先生は、会社の会計係として働いていましたが、大変優れた打楽器演奏者で、また尊敬できる知識人でもありました。「しっかり学ぶなら最高の打楽器奏者に育ててあげよう。」先生は約束してくれました。私は先生の言葉を信じ、ひたすらタムタムを叩き続けました。ある日、先生は言われました。お前は、ダカール1、いやセネガル1、アフリカ1の演奏家になるだろう。」私は未だに現役です。自慢する気はありませんが、私に肩を並べる演奏家はまずいないと思っています。同時に、セネガルのリズムを愛し、信じ、タムタムを叩き続ける次の世代を育てなければとも思っています。

 タムタムのリズムを産み出したのは、女性達です。女性達は、穀物を粉にします。臼を杵でつきながら、時々臼の縁でリズムを刻みます。臼には色々な大きさがあり、色々な音色があります。低い音も高い音も出すことができます。時には、10人・20人もの女性達が一斉にリズムをとります。中には、粉引きを忘れ、杵を捨てて、リズムに合わせて踊りだす者も出てきます。今はもっぱら男性が演奏するタムタムですが、その由来を辿れば、女性達の粉引きのこの仕事に辿り着くのです。

 自然は、聴く耳を持つ者にとって音楽です。ひところ私は、ひどい不眠症にかかっていて、眠れない苦しい夜を何日も過ごしていました。ある雨の晩、思い立って耳に聞こえる自然の音すべて記憶しようとしてみました。雨の音、風の音、木の葉のざわめく音、窓枠の鳴る音、みんな記憶に留めました。明け方外が静かになると、私は頭の中になり続ける音に耳を澄まし、それをタムタムで再現してみました。自然のリズムが、、私にタムタムを叩かせているのだと感じていました。

自然が音楽なら人生もまた音楽です。息子と市場へ行った時の事です。私は例によって全ての音、全ての声に聞き耳を立てていました。羊の鳴き声、物売りの声、静かな会話、声高な口論。私は立ち止まり息子に言いました。「市場は音楽だ。わかるか。」すると息子は怪訝そうな顔で、「お父さんは、いつも音楽のことしか考えていないのですか。」と聞き返してきました。「もちろんだ。」と私は答えてやりました。「全ては音楽だ。あらゆるものが持っているリズム。それが私には聞こえるんだ。リズムは、私の情熱であり、愛であり、信ずるものなのだ。毎日の暮らしも、リズムに満ちている。油のはねる音、鍋を混ぜる音、野菜の煮える音。ぼんやりしていれば、どの音もどの声もただ騒がしいだけだろう。しかし、私には全てがリズム、全てが音楽に聞こえてくる。」

 セネガルのバトンガールの結成にも、私はお手伝いすることになりました。1960年、フランスから独立したセネガル共和国は、初代のサンゴール大統領のもと、様々な方面で民族化を勧めました。バトンガールの行進も、アフリカらしくしようということで、私は大統領からそれにふさわしいリズムを作って欲しいと頼まれました。そこで私は、お祝いの場でバトンガール達が踊るのに適した快いリズムを創作したわけです。おそろいの制服もその時新しく作り直しました。なるべくアフリカらしさを出すようにはしましたが、ブーツは残すことにしました。新しく生まれ変わったバトンガールが最初に行進した時の様子は忘れられません。サンゴール大統領はもちろん、外国からのお客様にも大変好評でした。今もバトンガールは、セネガルの若い女の子達には憧れの的になっています。

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